父親の計らいでイタリアのジェノバへサッカー留学をしている日本人の吉川光は名門チームのサンポデスタの下部組織でプレーしていた。両親が航空機事故で急逝したため日本に住む叔母に引き取られることになるが、イングランドの伝説的選手であり町医者のロブソンに才能を見出されイタリアに留まることが決まり、サンポデスタを辞めロブソンの下で指導を受けることになった。 光は弱小チームのコロンブスを牽引してジェノバ・カップで活躍すると、イタリア少年サッカー大会に出場するジェノバ代表に選ばれるなど、ライバルたちも光の才能を注視するようになる。その後もロブソンの提案によりイタリア大会で対戦したライバルをはじめ世界中から優秀な選手を集めた混成チーム「J・ウイングス」を結成してヨーロッパ大会四カ国対抗戦やジュニアチャンピオンズカップに出場するなど活躍の場を広げていく。